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執筆者の写真yoko kobayashi

「心・体・技」

更新日:7月18日


スポーツの世界でよく使われる言葉で「心・技・体」というのがあるけれど、ほんとは「心・体・技」が理想的なのでは…..


音楽においても同じようなことが言えて、そのすべてが整って、前向きな姿勢になれるけれど、音楽は方法論で外装を着飾るものではなく、内面が滲み出るものということを、素晴らしいミュージシャンの演奏を聴いて、または共演させていただくことにより体感してきた。

また自身の音楽がマインドを創る。


師は自分の死を覚悟した時、「俺さぁ、音楽は技術でやるもんじゃなくて、Heartでやるもんだって今頃気づいたよ。もう遅いよなぁ」と呟いたそうだ。

敢えて大きな口を叩いて自分を追い込むタイプだった師の、初めて聞く謙虚な言葉だ。


ほんとはとっくに気付いているであろうことを、何であんな風に呟かれたのか、今でも分からないけれど、私も気付いている気になっているだけで、本当に追い込まれた時、人はもっと気付くことがあるのかもしれない。



私も、精神的、情緒的、あるいは知的に成長するための経験や知識を得るチャンスを音楽から貰った。



人は誰しも、大きな壁が立ちはだかりにっちもさっちもいかない時期がある。

いつだって思い通りになんかいかない。


(自分をもう一度立て直そうとする気持ちが芽生えるまでは、自分を放っておくしかないけれど)その、自分をもう一度立て直そう、と自律するときに、支えになるものは何か。


ピアノが弾けなくなる疾患や、命に関わる病気になったこと、音楽も諦めなければならなくなる状況に追い込まれたこと、それまでの日常を全て無くしたこと、

それらすべてがあって今の自分になった。

そして今の音楽、オリジナルな思考が出来上がった。



現在、少しずつ「音の色あい」や「音の表情」に関して思い出したいと思っている。

これは「技」に関係してくる。


しかし結局、これも体の使い方が大きく関わってくるので「体」ということになる。やはり「心・体・技」はバランスが一番だ。


先日、LIVEの紹介が記された文章を目にしてとても嬉しかったこと、それは「美しい」という言葉を一切使わずに表現されていたこと。


美しいピアノ・音楽だと評されるのはもちろん気分の悪いことではない。

しかしながら、それ以上に「美しい」が、一切使われていない評価は、私にとってとても心地よい、何だかホッとする、嬉しいものなんだということに気付いた。不思議だ。


私自身は、努力しなければならないことがたくさんあって、何十年ピアノ弾いてるの?って自分に言いたくなるほどのため息も出るけれど、それ以上に、たとえ成就されなくとも目指すものがあることを嬉しく楽しく感じ、心の糧となり、自分らしく生きる気力となっている。




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