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執筆者の写真yoko kobayashi

腑に落ちること

更新日:2023年10月7日

10年かけてようやくトンネルから抜け出すことができて、それだけでもありがたいことなのに、まだまだ思い出せていないことがあったなんて.....。

今日はその忘れていたことを練習中のふとした瞬間に思い出した。

そうだよ、こういう時はこういうこと意識して弾いてたじゃない!という瞬間。


2023年はそんなことのために時間を費やした。費やした甲斐があった。

費やすというより、その時間をどうにかして捻出し、どうやったらもうちょっと下手から脱出できるか考える時間を楽しんでいた、に近い。

もちろんまだこれからも思い出すことがあるのかもしれない。

しかし不思議なのは、以前は出来なかったことが出来るようにもなっていて、ちょっとしたことだけれど驚いた。

10年耐えたご褒美、忍耐賞を神様がくれたのかな、とさえ思える。



「まるで誰かが僕の手を掴んでいるようだ、自分でどうやってもさっぱり弾けやしない。」*1831年7月13日


「本当にだんだん悪くなってゆくんだ、度々、天に向かって、嘆きながら尋ねるんだ、神様!一体この私に何をなさったのですか?!」

*1838年12月3日、クララへの手紙


これは音楽史上、最初の患者であったと言われているロベルト・シューマンの日記です。シューマンはこの疾患の苦悩を何度も日記に記述しています。


シューマンの時代から200年が経とうとしていて、もちろん病名さえ分からなかったこの頃に比べたら格段に医学も進歩しているけれど、未だに原因不明決定的な治療法も不明のままです。

ですが、今の私には(あくまでも自分に関して)全て説明がつくのです。


そんな腑に落ちた日々を過ごせていることの、何と幸せなことか.......。



そして健康であることが一番の宝です。癌摘出手術からも8年が経った。あの病気ももう寄ってこない気がします。

私も、何か自分の身に困難が立ちはだかっても、そんな時は音楽に助けられてきました、って言ってた側です。

ですが、音楽家が音楽が出来なくなりそのために失ったものも大きいと、音楽に助けられることはまず無い。逆に音楽を聴きたくなくなります。

幼い頃からずっと音楽に触れてきた私のそんな気持ちに呆然としたものです。

私はその当時、人生のどん底にいると思っていました。大きな勘違いです。

どん底なんて、こんなちっぽけな私が経験できる訳がない。


私が本当に音楽に助けられたと実感できたのは、私の中に、今のこの状態だったら復帰できるかもしれないという気持ち、復帰したいという気持ちがほんの少しずつ表れてきて、そこから実際に復帰できるまでの間、その間こそが私が想う目指す音楽に助けられた時でした。



最近、たわいのない日常に関しても、腑に落ちることが多いように感じます。

そして、何だか100歳位まで生きて、茶飲み友達と「ほんとにまぁ、みーんないなくなっちゃったわねぇ」って珈琲すすってる気が益々してきちゃって困ったもんです。

その図式が段々色濃くなって、折角ご長寿賛美曲?を作ってずーっと演ってるんだから、いっそのこと泉重千代さん目指すかな。


やれやれ、ほんと困ったもんです。


人間らしく自分らしく生きるエネルギーをもらっている、音楽に助けられているんだって、今こそ、心の底から言えるようになった気がしています。










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