2023年は私にとって不思議な年でした。
まず第一に、2011年位までの私自身のピアノの弾き方を全て思い出したことから始まった.。記憶喪失に陥った人が、全てを思い出した時はこんな感じなのだろうかと想像したりもしてみた。
これは昨年末にリハビリにより解決していたことではあるけれど、
鍵盤に対しての手の甲と指の向き(鍵盤に対してまっすぐな場合と、ほんの少し外に開く場合がある)、鍵盤に手を置いた時の横から見た第三関節(指の付け根の関節)の角度、
角度がほぼ無い場合(指を立てない場合)の第一関節と手のひらの筋肉への意識、角度がある場合(指を少し立てる場合)の手のひら側の空間・筋肉の意識、
そしてその第三関節が手・腕の重さを支えられるくらい十分にしっかりしている必要があること、打鍵の位置、姿勢、鍵盤と自分の身体との間の空間意識、腹筋、腕の脱力、緊張と弛緩、椅子の高さまでも。
ここまでだと、少しずつ状態が崩れてくる時があり、何故崩れるのか原因が分かったのが今年だった。そして思い出した。
それは最初におかしな動きをし出した右手2の指(人差し指)にどのくらいの重きをおくかだった。
この2の指にどのくらいの重きを置くかを意識する際、私の場合はほんの少し手の甲が内側に向いていたことも思い出した。
ピアノを弾く上でどれもとても大事なこと・基本的なことだったはずだ。
これらに対する神経回路がどう混乱していたか、全て明確になった2023年。
最後に思い出した2の指のこと、2の指の使い方を意識すれば「3,4,5指の極端な屈曲は全く無くなる」ということに気付くのには丸々10年間、時間を費やしたということになる。
話はとても簡単なことだ。
最初に異常な動きをし出したのが右手2の指。これがピアノを弾く際ピンピンと天井を指すようになった。
それでそのうち3,4,5の指が内側に極端に屈曲しだし、終いにはコントロール不能になったのだから、本来ならばこの2の指に一番重きを置いて事を考えるべきだ。
ところがそう簡単にはいかなったのが、リハビリの難しさだった。
でも10年かかってもなんでも、完治は難しいと言われている難病が、実際に完治したのだからこんなに幸いなことはない。
この10年は決して無駄な時間ではなかったし、逆に良かったと思っている。
何故良かったか?それはピアノを弾く上で何か困難に打ち当たった時、以前の私だったら「これは私には出来ない」と簡単に諦めていたようなことも、今ではああでもないこうでもないと考え、何とか解決策を見いだそうとしている。
以前意識しないで楽に自然に出来ていたことも、何故出来ているのか考えるようになった。そしてそれが何故なのか分かるようになった。
普通は出来ていることは何故できているのか考えたりはしない。
お箸を使えていることや普通に歩けること、自転車に乗れることなど、何故出来ているのか普通考えたりはしないですよね?
完治を感じたのは昨年末だったけれど、こんなことも考える一年だった。
そして、改めて完治の確信を持てた一年だった。
私の想う音楽を、どうやったら私の「ピアノの音」で表現できるのか、その「ピアノの音」で私の想う音楽をどう表現していくか、やっと原点に立つことができた2023年だった。
頬をつねってみたりして、どうもピンときていないようなところもあったけれど、それも無くなりつつある。
そして、もう一つ不思議だったのは、昭和という時代への想い、「昭和に生まれて良かった!」という感情が生まれた年でもあった。
まだもう少しやることはあるけれど、多分いつ死んでもいいと覚悟ができたみたいなとこがあるような気がする。まだピンピンしてるけど笑
最近、平成生まれの若手ミュージシャンと共演させていただく機会も増えたけれど、音楽が良いのはもちろん、性格も良く、頭も良い。
それに加えて心根が優しいときている。でもちょっと変わっているところが面白いところ。
ただ生まれた元号が違うだけで、同じ音楽を愛する人間同士、そこに垣根はないんだなぁと痛感する。と同時に、昭和生まれで良かったとつくづく思う。私も平成まれだったらもっと音楽で打ち解けられたかな、とは思わない。
そんなことより今同じ時代に生きていることの大切さなのかもしれない。こう強く感じるようになった。
この同じ時代に生きているから(まぁBill Evansを実際に聴くことは叶わなかったけれど)、
昔から知っているミュージシャンと今共演できていることもそうだ。
偶然なのか必然なのか、なんて考えすぎると脳の混乱が起こる。
そしていろんな人たちがいて、いろんな人たちと出会えて(と言っても私の場合は極少数だと思うけれど)、昔だったら普通の当たり前の日常だと思っていたことが、とても貴重で面白く素晴らしいことなんだと感じられるようになった。
LIVE会場に足を運んでくれる方々にしてもそう。
先日終わった12/28のフッと浮いて出たかのように決まった、20年ぶりのTRIOでの限定LIVE、LIVE自体も偶然なのか?
会場には20年ぶりに会えた方、その前から変わらず来て下さっている方々、
2018年復帰後から聴いて下さっている方々、初めてお会いした方々、こういった人たちと何故出会うことができたんだろう?
The Third Tribe、Tone Momentum、TEAM TUCKSにしても、ずっと長い間会っていないミュージシャンに声をかけさせてもらって結成したUNIT
(こうしてUNIT名みてると随分とTが並んでるな)、これは私の直感で決めたことだから必然なのか。
でも私の2012~2018年のブランク(音楽上の人間関係も含めて)の時期が無ければ、どのUNITもあり得なかったと思う。
(TEAM TUCKSに関しては、コロナ禍が無かったら存在しなかったであろうUNITでもある。)ブランク時期が必然だったのならUNITも全て必然なのだろうか。
って、頭も痛くなるので、タラレバ話はするなということなんだろな。
何だか、リハビリに割く時間を作る必要性がなくなり、どうも脳がヒマしてるらしい。
「必然」を軸にして、「偶然」の陰に隠れているのが「想定外」だとすると......なんて考える暇があったら、もっと練習すればいいのにね。
でもこの先「想定外」のことが起こった時、それに立ち向かう心構えだけは身に着けておきたいという結論に至る。
そして「想定外」という言葉を、言い訳や免罪符として使うことだけは避けたいと思うようになった。
来年はどんな年かな。
2023年、場所を提供して下さったライブ会場、共演して下さったミュージシャン、そしてライブ会場へお越しいただいた全ての皆様に深謝いたします!
本当にありがとうございました!
変わらず精進したいと思っています。
皆さま、ご自愛ください。
そして良いお年をお迎えください!
来年もどうぞよろしくお願いいたします!
小林洋子
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