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執筆者の写真yoko kobayashi

目の前の光景を見据えるでもなく、外気に耳を済ます。

これは私の昔からの癖だ。

10月に入って直ぐのことだった。


横濱のアメリカ山公園を訪れた理由は、アルバムのジャケに使いたい景色を探していて、以前ここには煉瓦造りのお屋敷の廃墟があり、ところが現在は綺麗に整備されて、目的の崩れた煉瓦作りのアーチも現在は無くなっている可能性があると聞き、それを確かめにきたのだった。


やはり無くなっていた。気配すらない。

普通の綺麗に整備された公園になっていた。仕方がない、他に適所を探さなければ。


見えている光景より聞こえている音の方が私には遥かに心地よい。

折角来たのだから、少し公園内を歩いてみる。

すると木漏れ日で地面に映る葉っぱの影が揺らいでいる石段を見つけた。

揺らいでいる影を見ていると、風で葉のすれる音が聞こえてくる。


一段ずつゆっくり降りていくと、その時ふと、

私は多分ずっと以前にここにきたことがある、そう思った。

いろんな光景がシャッターを切るように思い出される。


記憶の機能がズレているようで頭が痛い。

10月に入り涼しくなってきた関東も、この日だけは30℃を越える真夏日だった。

たくさんのセミの鳴き声が襲ってくる気さえしてくる。


いや、ここではない。恐らく2016年辺りにポツンと何となく足を運んだどこかだったような気がする。音楽と無縁だった頃だ。


普段は忘れている当時のことも、何かがきっかけでこうやって追想することがある。

それは良くないことだと思っていた。

ところが、案外そうでもないことに気付かされることになる。


当時のことをぼんやりと思い出すような日だったけれど、それから間もなくして、あたかも念を押されるかのようなちょっとしたことがあった。


音楽から遠く離れていた頃、どうしても良い響きの空間で良いピアノが弾きたいという衝動にかられ、相模湖畔にあるホールのベーゼンドルファーを独り占めし、その時の私にはmodel 275のベーゼンはフルコンサートに見えて、2016年その巨大にも見えるピアノを不自由な指を使って弾いたmoon river。

それをHALLの方が記録として残して下さっていて、それを確か4〜5年前に投稿したのだった。


その投稿をある方が何故か今頃になってシェアして下さって、8年前の私のピアノの音を私自身が再び耳にすることになった。


当時の思いが甦り胸がキューンとしてくるのだけど、ハッと気付かされる。


(指が不自由である以前に、「この楽器はもしかしたら前世に見たことがあったかもしれない」というような感覚に襲われるほどピアノから遠のいていて、4才から弾いていたピアノという楽器なのに、まるで初めて会う話の合わない苦手な人でしかも巨人、と話をすることよりずっと壁は厚かったのを覚えている。

でも恐る恐る鍵盤の上に指を置き、ハンマーがコーンと弦を打つ感触は覚えていて懐かしくもあり、「あぁ私って、確かに以前こうやってピアノ弾いてたよな」

そう思った後のことは良く覚えていない。とても嬉しかったんだと思う。)


今になってその時の私の音を聴く機会が現れ、気づいたこと、感じることは、技術や方法論の匂いも皆無で、心の動きだけで弾いているではないか。

いや、心?もどうだったか、とりあえず無心で弾いている。本来ならばこんな空間に居ることすらもう二度と無かったであろう私が、悲しい?とはかなり違うけれどそんな思いを音に打つけるつもりが、ピアノを弾く喜びの方がそれを優に上回っていたのだろう。


果たして今の私はどうなのか?

今の私にこのMoon Riverは弾けるのか?

考えれば考えるほど、音楽から滲み出るもの、訴えてくるものの根本は何なのか、思案に余る。


私ができれば耳にしたくない音楽に「方法論と技術の匂いがプンプンする音楽」というのがあるけれど(両者だけが前面に押し出され、それをアピールしているかのようにしか聞こえてこない音楽)(滅多に耳にしませんが)



今の私は技術は最低限をどうにか維持している程度だから問題視する必要はないけれど、果たして方法論は皆無なのか?


様々なことを深く考えさせられる自分自身の音を、良いタイミングで聴くことができ、日々のピアノへの向かい方や内容にも少し変化があったように思う。

ある意味初心に帰ることができた。


長く音楽を続けていると、その音楽人生で幾度か初心に帰ることがある。


そのタイミングは何故か不思議と絶妙な気がしている。

というより、きっと適切な道から知らぬうちに外れようとしている時に、音楽に真摯に向き合っていさえすれば、必ずそれを知らせてくれるように出来ているのだろう。

ふとしたことで、大切なことを考え直す機会を与えられることはとてもありがたい。


そして、2016年当時にはまさかそう遠くはない未来にこのHALLで2度もレコーディングすることになろうとは思いもよらないことだったけれど、2020年のソロアルバム以来の同じ場所での2度目の収録が待っている。


直にまたこのLUXMAN HALLに足を運び、あの時私を救ってくれたピアノと向き合う。


レコーディングするTone Momentum DUO編成の相棒はsaxophone津上研太さん故に、良いものが出来るのは間違いない。

私も自信を持って臨みたいと思う。



たくさんの思いが詰まったレコーディング、そして一枚のアルバムになるだろう。


その思いとは、まず最初に共演者:津上研太さんへの感謝の気持ち、そして現在の私へと導いてくれたピアノ、音楽への感謝の気持ち、「Nearly Dusk」「BEYOND THE FOREST」「10フランの幸せ」という3枚のアルバムをとても良い音で録って下さったengineer五島昭彦さんへの感謝の気持ち、私を救ってくれたあの空間とあのピアノへの感謝の気持ち、、、等々。


後どのくらい音楽ができるんだろうなんて誰にも分からないけれど、一つ一つのライブ、音楽することは、今を生きている証だ。


津上研太さんと十分に話し合い、ほぼほぼアルバムタイトルも決まっているけれど、

未来に向かう今を生きることへの覚悟のようなものが私の中にポッと生まれたような気がしている。


私にとっての難しい編成でのレコーディングを決めたこと、私のオリジナルの中でも苦手としている曲も敢えて選択していること(ライブ時も然り)

これは、未来に向かう今を生きる私の挑戦でもあります。


…………….


シェアしていただいたこの動画は私のパソコン内にはもう残っておらず、それをそのままダウンロードし、youtubeにアップしました。

よろしかったらお聴き下さい。

    ↓















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